せめて今日だけは
7/18 音楽の日。
「ハダシの未来」
新曲「カイト」
この文字を見た時は
お!久々に歌番組で披露するじゃないの…!
くらいの気持ちでいました
実際ハダシはめちゃくちゃ楽しくてイントロでは脳内に翔さんの " clap clap! " が流れてたし、サビもめちゃくちゃ踊ったし。
その後のピカダブがダメだった…
以前からこの曲は卒業ソングだと思っていて、自分の卒業の時期になるといつも聴いては涙を流していました。
でも今日改めて聴いて、そして嵐さんが歌っている姿を見て、どうしても活動休止のことを思い浮かべてしまった
今の気持ちを歌詞とともに記したいのでここに書きます。
特に刺さった歌詞を引用します。解釈というよりは想いなのでもちろん当てはまらない人もいると思いますが悪しからず。
(以下、歌詞を引用している部分は引用マークをつけています)
見慣れた街なみ いつもの仲間が
離れてくなんて 旅立ってゆくなんて
もうここで、嵐さんの活動休止が浮かんでしまった。
あまりにも5人でいる姿を見ていることが当たり前すぎて、5人が5人でいないことを想像するなんて、と思ってしまう。
完全に居なくなってしまう訳じゃないけれど 今年が終わったら「5人の嵐」に会えなくなってしまうんだ、とふと思ってしまった
刻まれた思い出が騒ぎ出す
このフレーズを聴いて私の中で騒ぎ出したのは
・私の中に刻まれている思い出
・嵐さんに刻まれているであろう思い出
この2つ。
・私の中に刻まれている思い出
もちろん、嵐さんのことを応援してきた10年間のこと。その中でも特に、活動休止を発表してからのおよそ1年半。
最初に活動休止のことを知ったのはお風呂上がりに見たfcメールだったこととか、学校終わりに部活でやる公演のリハーサル行かずにダッシュで向かった東京ドームとか、入試1週間前だったのにそわそわしながら向かった京セラとか、翔潤のハートビートを見た映画館とか、大学からダッシュで帰ってハピライ見たこととか、
いろいろ思い出して私の生活は嵐さんが中心なんだな、と思ったと同時に、嵐さんがいてくれなきゃ今の私は無いな、と思った。
・嵐さんに刻まれているであろう思い出
20年、もうすぐ21年。嵐になる前の年月よりも長い期間、嵐として過ごしてきた5人。
私たちが見ている以上に、5人に刻まれた思い出はたっっっくさんあって。私たちが知らないところで私たちのために努力してくれていたであろう時間とか、一人ひとりが自己の向上のためにかけてきたであろう時間とか、
5人で過ごした時間は、私たち以上に、5人にとって本当にかけがえのない、大切な時間であったのだと思う。
限られた愛と時間を 両手で抱きしめる
せめて今日だけは消えないで
これもファン目線、嵐目線両方でとれるなと。
私たちにとって活動休止前の嵐さんを見られるのはもちろんあと半年。
でも同じように、5人も嵐として活動していられるのは休止まであと半年で。
限られた愛と時間。
私たちが「嵐」でいる5人に愛を送れるのはあと半年しかないんだ。活動休止だとしても、無くなるわけではないと分かっていても。
あと半年、彼らがどんな道を歩むとしても、絶対についていく。そう決めたから
ちょっと、ここまで書いて、自分の語彙力の皆無さを嘆いています()
この先の歌詞についても書こうとしたけど、どうしても感情を言葉にできない
もう一度見てこようかとも思ったけど、いよいよ本当に寝れなくなるから…
諦めます(え)
もしまた書きたくなったら、何か自分の気持ちを落とし込める言葉に出会えたら、追記としてこの下に書くか新しく続きとして記事を書くか…
それはわからないけど、きっとみんなそれぞれ思ったことがあるはずで、きっと嵐さんのことが大好きになったはずだから、
わたしは
その思いが嵐さんに届けばいいなと思います。
どんな形であれ、嵐さんが活動してきてよかったと思えるように、
せめて今日だけは消えないで。
いや、
消さないように生きていこう。